乗り越えた?
「どうやって乗り越えましたか?」と、聞かれた話はその2くらいに書きましたが(覚えてないやつ(..;))、
そのときにも書いたように・・・
どうやってもこうやってもなく・・・
ただ助けていただいた!
それだけです。
お話をしてくださり、
伝授を下ろしてくださり、
浄化をしてくださり・・・
その浄化は一瞬で自分が谷底から山の頂上まで移動できるようなすごさで・・・
そのすごさに救っていただいただけです。
命綱
自然の力は本当に命綱です。
命綱は絶対に手放さない!
これにつきます。
まだまだ未熟な私です。
まだまだこれからも間違うでしょうし、沼にはまってしまうかもしれません。
それでも絶対自然の力から離れない。
手放さないこと・・・。
それだけは記事を読んでくださる皆さんにお伝えしたい私です。
自分で自分を崩して勝手に転んでいた私ですが・・・
そんな私にも救いの手を差し伸べてくださろうとしていること、
なんどもなんども・・・というよりはずっと感じました。
小川裕世先生、
南将路先生・・・
助けてやろうな、という声も聞こえた気がする程でした。
命綱を下ろしてくださっているのに、
それを見失って掴めないのは自分です。
でも命綱をおろしてくださっていることだけは感じました。
こんな愛は他にはそうそうないです。
ありがたいです。
神様に向く
神様に向く%が最近のテーマの一つです。
神様に100%向いていると後ろを向いていても神様を向いているのだとお話くださいました。
それ以前のたとえで、違う絨毯に乗っているから乗り換えるんや、とも。
目的が違うとずれてしまう。
絨毯のたとえはその場に絨毯があったからそのたとえだったのですが・・・
↑
こういうイメージかな、と明子画伯に書いていただきました(*^-^*)
乗り換えないと。
一度おりて乗り換えないと・・・ですね☆
山が違ってた
5月頃に一度、
南先生から「あんたおかしいな」と言っていただいたことがありました。
そのとき「今まで一生懸命山にのぼったんや。そして頂上まで登って、もうおりるだけだから希望がないんや」と、言ってくださいました。
その例えば本当に私の漠然と感じていたことにぴったりでした。
でもそのときの私にはわからなかった。
わかろうとしなかったのもあります。
どの山に登ればいいかわからなかった←アホです。
というよりは自分がどの山に登っているのかもわからなかった私です。
神様一番で、神の国を目指して(人類救済)その山に上れば無限。
でも私は違う山に登っていたから有限で限界を感じていたのでした。
それにしても明子画伯はイラストにしてくれるのが上手です(*^-^*)
伝授って本当に凄い。
自分がないときには「山に今から登るなんて無理!気力も何もない!」と泣いていたのに・・・
浄化していただいたら力が湧いてきて・・・よし、これからだ!って感じます。
本当に全部自分。
そして自然の力は本当に無限。
凄いです。
感謝です。